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松尾芭蕉も忘れられない!八丁畷「芭蕉ポケットパーク」と句碑

2026.07.25

「古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音」
「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」

今も語り継がれる数々の俳句をのこしている江戸時代の俳人、松尾芭蕉。

代表作の紀行作品「おくのほそ道(奥の細道)」とともに、歴史で習った・聞いたことがあるという方も多いのではないでしょうか。

松尾芭蕉は、日本各地を旅し、その土地で出会った景色や人々への思いを俳句によんできました。

そんな松尾芭蕉にとって、実は川崎区・八丁畷が、忘れられない特別な思い出の地であることをご存知でしょうか。

この地には、歴史上の人物・松尾芭蕉が私たちと同じ1人の等身大の人間として感じられる、そして「人を思うこころ」の温かさがじんわりしみるステキなエピソードがあるんです。

しかも、今も現地でそのエピソードに触れ、思いをはせられる場所が残されています。

今回は、八丁畷で松尾芭蕉の大切な思い出をたどる「芭蕉ポケットパーク」と「芭蕉の句碑」をご紹介します。

なお、「芭蕉の句碑」は2021年9月にもご紹介していますので合わせてご覧ください。

今回は、芭蕉自身の句をのこす句碑に加えて、芭蕉を見送る弟子たちの思いが詰まった俳句作品を集めた「芭蕉ポケットパーク」も詳しくご紹介します。

「八丁畷」は松尾芭蕉にとって愛弟子との惜別の思い出の地

JR南武支線、京浜急行電鉄「八丁畷」駅から旧東海道をわずかに北(川崎方面)へ徒歩約2分・線路沿いに「芭蕉の句碑」があります。

元禄7年(1694)5月、松尾芭蕉は江戸・深川を旅立ち、故郷・伊賀(三重県)への帰郷を経て西国を巡る旅に出ました。

その後、芭蕉は伊賀で門人(弟子)や親族と過ごしたのち、大坂(現・大阪)へ向かいます。しかし同年10月、旅先の大坂で病に倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
つまり、これが「旅に生きた芭蕉の最後の旅」となったのです。

この旅への出発に際し、江戸・深川から同行して川崎宿まで見送りに来た愛弟子たちとの別れの地となったのが、現在の八丁畷です。

芭蕉の句碑には、このときの別れを惜しんで詠んだ俳句が刻まれています。

「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」

旅立ちを前にした芭蕉が、別れの寂しさをにじませた一句とされ、芭蕉が関東で残した最後の一句として後に多くの人々に親しまれることになりました。

愛弟子たちが深川から付き添い、多摩川を渡り、川崎宿を抜け、八丁畷まで見送ったこの日は、結果として最後の別れとなりました。

今でも、川崎の市街地が終わり住宅街へと景色が切り替わるイメージのある八丁畷。
当時は、川崎宿のにぎわいから離れ、田んぼ道が延々と続く場所だったようです。

宿場町の喧騒が遠ざかり、一面の麦の穂が揺れる風景は、「いよいよ江戸を離れる別れのとき」という覚悟が重なる景色だったのかもしれません。

江戸の端まで、いや、多摩川も越えて、その先の町はずれまで見送りたい……。そんな弟子たちの思いが、今も八丁畷という場所に重なって感じられます。

現在の句碑は、芭蕉の没後約130年となる文政13年(1830)に、俳人・一種(いっしゅ)によって建立されたものです。江戸時代からすでに、この惜別の思い出の地を後世へ伝えようとした人がいたことがうかがえます。

神奈川県内には数多くの芭蕉句碑がありますが、実際に芭蕉がその句を詠んだ場所に建てられた句碑は希少です。

この句碑は芭蕉を記念する石碑というだけではありません。別れを惜しんだ人たちの思いとともに、この場所に受け継がれてきた記念碑なのです。

俳句を芸術に昇華させた芭蕉ゆかりの地で俳句をよもう

芭蕉の句碑・案内板のそばには、芭蕉の句碑保存会による「投句箱」があり、地域の方や道ゆく人が俳句をよんで投稿できます。

芭蕉は俳句において「さび」「しおり」「ほそみ」「かろみ」の句風である「蕉風」を確立しました。

実はそれまで、俳句は、(いまでいうところの川柳に近いかもしれませんが)ダジャレ・言葉遊び・ゲーム感覚で楽しまれていたそうです。

つまり、芭蕉は俳句を「五七五の17文字で情景をあらわす芸術」へと昇華させたパイオニアでもあるのです。

俳句をよんで情景に向き合う風景自体が、芭蕉がいたからこそ生まれたものだともいえるのかもしれません。

300年以上時が流れた今も俳句が親しまれ、俳句をよんで思いを伝えあうひとときがある、しかも、芭蕉の思い出の地で息づいている……

今頃芭蕉さんも、美しい緑と愛らしい花とともにある句碑と投句箱を、愛弟子さんたちとともに楽しく、空の上から微笑ましく見守っているのかもしれません。

愛弟子目線から芭蕉の思い出をたどる「芭蕉ポケットパーク」

「芭蕉の句碑」から旧東海道沿いを北東(川崎側)へ徒歩約2分、川崎警察署を挟んだ先に見える馬嶋病院の一角に「芭蕉ポケットパーク」があります。

ここはイスがあり誰でも立ち寄れる日陰の休憩所になっていますが、ひとときの休憩の間に、芭蕉と愛弟子の思い出を追体験することができるようになっています。

芭蕉の句碑だけでなく、芭蕉ポケットパークで門人たちの思いや、師匠・芭蕉との心の交流に目を向けることで、当時の情景がぐっと立体的に感じられます。

そして気づけば、300年以上前の出来事が、今を生きる私たちの「大切な人を思うこころ」と自然に重なってくるのです。

芭蕉ポケットパークは、芭蕉の足跡をたどる場所であると同時に、人を思い、人に見送られた旅人の物語に出会える場所でもあります。

現在の川崎とリンクする当時の東海道の地図

芭蕉ポケットパークには、私たちを芭蕉の思い出の世界にいざなう2つの仕掛けがあります。

その1つ目が、当時の東海道・川崎宿の地図です。

右の多摩川が北(北東)側、左の八丁畷・市場村付近が南(南西)側。
現在のJRや京急と並走して続く旧東海道を横長にイメージする地図とぴったり重なります。

一番左のパネルには、現在地(芭蕉ポケットパークのある八丁畷付近)を示す赤いマークがあります。

右の多摩川から八丁畷に向けての地図をたどると、川崎大師や稲毛神社など今も残る川崎の名所が並び、砂子・川中島・小土呂など今も日常で聞く地名も多く見受けられます。

私たちが日々生活する川崎に、歴史の教科書で知ったあの松尾芭蕉が旅で通り、思い出の地となったことが急にリアルに感じられる地図でした。

現代では、多摩川から八丁畷まで旧東海道を通して歩く機会はあまりありません。実際に地図を見ながら距離を想像すると、「ここまで歩いて見送ったのか」と、その道のりの長さも実感できました。

師弟愛を紡いだ俳句が並ぶ柱のモニュメント

そんな川崎宿を芭蕉に付き添って歩き、宿場町のはずれの八丁畷まで見送った愛弟子たち。

芭蕉を思う愛弟子たちの俳句が紹介されているこのモニュメントが、私たちを芭蕉の思い出の世界にいざなう2つ目の仕掛けでもあり、芭蕉ポケットパークのメインともいえます。

連れ立って旅路を歩く芭蕉と愛弟子たちのシルエットとともに、当時が目に浮かぶような師弟愛と情景が凝縮された素晴らしい俳句の数々が並びます。

モニュメントには、句集「炭俵」「別座敷」から抜粋された、芭蕉の旅立ちに寄せてよまれた俳句と作者名が並んでいます。

八丁畷での別れの象徴でもある「麦」をキーワードとした俳句のほか、五月雨・柏餅など、5月(旧暦)の旅立ちの景色を描写する言葉が数多く登場しています。

季節感や情景が鮮明に浮かんできて、俳句に季語がある意義を改めて実感し、心が動かされました。

師弟愛が感じられる俳句、情景が目に浮かぶ俳句、惜別の思いが伝わってくる俳句……

まるで、大切な師匠との別れを惜しむ愛弟子とともにその場にいるかのような気持ちになれるのが不思議です。

読んでニッコリ・思わずホロリ……心動かされる名句の数々

俳句を読んでいくなかで、思わず立ち止まってしまった一句がありました。

「寒きほど案じぬ夏の別れ哉 野坡」 

この句を読んだ途端、当時も今も変わらない、大切な人を思い健やかであるよう願う気持ちを感じて、急に涙が浮かんできました。

現代のことばでは、
「夏なのに寒く感じるほど、別れが寂しく、先生の旅を案じています」
という一句。

取材時はまさに芭蕉の旅立ち(旧暦5月・現代の6月)と季節が重なる時期。

梅雨の合間に雨が小休止した、まさに梅雨寒の日。

この一句が、朝方の肌寒さで体調が気になることも多い日々とリンクし、まるで自分ごとのように実感がわいてきました。

晩年の芭蕉は体調を崩し、胃腸の調子が悪かったとも言われており、師匠の体調を心配する弟子の思いも切実だったことでしょう。

ましてや当時の旅は命がけ、まずは目的地のふるさと・伊賀まで、約420kmにもおよぶ長い距離を全て徒歩で移動するのです。

もちろん、健康や安否を確認できる連絡手段もありません。

大切な人が健やかであってほしい。

その思いがこの句に凝縮されて、遠く離れた家族の健康を願う自分自身の気持ちにも重なるように感じられて、心が揺さぶられました。

もう一つ心に残りほほえましく思った一句は、

「新茶ぞと笈の掛子に一袋 滄波」

現代のことばでは、
「『新茶ですよ』と、旅のおともに、荷物にそっとお茶一袋をしのばせました」
という一句。

大切な人に、ほっとひと息、笑顔になってほしくて。
旅立つ師匠にしてあげられることを考えて、おいしい新茶をプレゼントするさりげない優しさが、なんだか愛らしくて、思わず笑顔になりました。

旅先の折々で、芭蕉は新茶を楽しみ、旅の空を見上げて滄波や弟子たちに思いを馳せたのでしょうか。

そしてさらに、胸がギュッとなる別れの寂しさを思う一句。

「送らばや一つ蚊屋にて一泊り 利合」

現代のことばでは、
「見送ろう(本当はさみしいけど見送らなければ)、でも、もう少し先生をお送りして、あと一晩だけでも、今夜は一つの蚊帳で一泊ご一緒できたら……」
という一句。

考えてみれば、旅の出発点であった芭蕉の庵のある深川から八丁畷は約22km。
箱根駅伝の1区、日本橋・鶴見中継所間とほぼ同じ距離を、師匠のお見送りにひたすら歩いてきたとも言えます。
(鶴見中継所は八丁畷からも徒歩圏内ですね。)

現代人でさえ、江戸出発の見送りなら多摩川までで十分だったのでは、と思うほどなのに、一緒に多摩川をわたり、川崎宿をこえて、さらに一面の麦畑が広がる宿場町のはずれ、八丁畷まで見送りに来た愛弟子たち。

そして、別れの時を迎えてさえも、あと一晩だけでも一緒にいたいと願った思い。

もう一度会えるかわからない、命がけの旅立ち。

「見送り」にしては長すぎるように感じる距離も、愛弟子たちにとっては
「もう少し、あと少しだけでも師匠と一緒にいたい」が積み重なった道程だったのかと思うと涙があふれてきました。

いつしか、自分自身の大切な人との別れも思い出し、芭蕉ポケットパークのイスに座って旧東海道を背に、見えないようにこっそり泣いてしまったひとときでした。

東海道を行き交う人に……ホッとひとときの休息を提供する芭蕉ポケットパーク

芭蕉と愛弟子たちの心の交流にふれることができる芭蕉ポケットパーク。

実はイスがあり、日陰があり、自動販売機もある休憩所として、行き交う人々の休息の場になっています。

私自身、川崎から歩いて自宅に帰るときなどに、中間地点として給水休憩に利用したこともあります。

特に熱中症が心配される夏場などには、日陰で座れる場所を提供してくれる貴重な休憩スポットでもあるのです。

考えてみれば、旅に生きた芭蕉ゆかりの地にある芭蕉ポケットパークが、旧東海道を巡る散歩や旅をする人々の休息の場となり、この街で暮らす人々にとっても、人生という旅の途中でひと息つける憩いの場になっている。そう考えると、なんだかステキですね。

芭蕉と愛弟子たちのエピソードを機に旧東海道の昔といまに思いをめぐらせると、歴史があり、生活があり、文化があり、そして行き交う人の夢や希望が詰まっている道なんだなと思えてきて、ますますこの街が好きになりました。

八丁畷の西側には、「東海道川崎宿史跡めぐり」の案内板があり、今回ご紹介した芭蕉の句碑をはじめ、さまざまな史跡が紹介されています。

普段何気なく通っている場所にも東海道ならではの歴史が息づく史跡がたくさんあり、「いつもの場所」も「歴史への旅」の視点で楽しみたくなります。

1人でのんびり散歩することはもちろんですが、旧東海道を巡るウォーキングイベントなども数多く開催されており、ガイドさんから興味深いエピソードを聞くこともできます。

芭蕉の旅路をたどりながら歴史の風景を感じ、いまの美しい街の景色も楽しむ……忘れられないステキな時間が過ごせそうですね!

300年以上の時を越えて……こころのあたたかさを伝える芭蕉ゆかりの地

元禄7年(1694)5月、芭蕉が八丁畷で愛弟子たちと惜別の時を過ごしてから、今年(2026年)で332年。

残念ながらこの別れは「最後の旅立ち」となり、その5ヶ月後の同年10月、芭蕉は大坂で病に倒れ、帰らぬ人となりました。

その時によんだ一句は、
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」

現代のことばでは、
「病に伏せる身となっても、夢の中では、私はなお旅を続け、枯野を駆け巡っています。」
という一句。

素晴らしいことに、芭蕉はこの旅で、故郷の伊賀に帰り、ふるさとでゆっくり過ごし、さまざまな活動ができたそうです。

江戸の愛弟子たちだけでなく、故郷・伊賀、そして折々の旅先にも、芭蕉を慕い、尊敬する人が数多くおり、この最後の旅でも、たくさんの大切な人に会えたようです。もちろん、新たな出会いもたくさんあったことでしょう。

そして、帰郷の目的を果たしてもなお新たな旅に向かって出発し歩みを進めるなかで、大坂が最後の地となったとのこと。

体調がすぐれないながらも、どうして旅を続けたのか。

実はまだ51歳の若さだった、ということもあるでしょう。

生涯現役、というポリシーもあったかもしれません。

でも、今回芭蕉のエピソードに触れ、さらに学びを広げて伝わってきたのは……

芭蕉にとって、旅そのものが生きることであったこと。
旅が世界を感じる手段であったこと。

そして何より、「会いに行きたい人」がいたこと。
出会いと心の交流が大好きで、生きるエネルギーになっていたこと。

きっと、そんな思いが芭蕉を、ずっと終わらない心の旅へと突き動かしていたのかもしれません。

そんな人であったからこそ、愛弟子をはじめ、たくさんの人に愛された芭蕉。

新茶を託され、体調を心配された最後の別れの風景には、師弟愛では語り尽くせない、人間くさい愛情とあったかさがにじみでています。

300年以上もの長い年月をこえて届けられた芭蕉たちの思いは、実は今の私たちにも共感できる「こころのあたたかさ」でした。

教科書で見た歴史上の人物・松尾芭蕉が、私たちの生きる街で大切な人生の一場面を過ごし、私たちと同じように温かい心の交流を大切にした姿。

あなたも、芭蕉ゆかりの地を巡って、そんな心ほどけるひとときを感じてみませんか。

今回ご紹介した旧東海道沿いの松尾芭蕉ゆかりのスポットから、2026年5月に紹介した旧東海道「鶴見橋」へは、旧東海道沿いの一本道でおすすめのお散歩コースになっています。

道中には2024年11月にご紹介した「市場一里塚」もあるので、よかったらぜひ合わせてお出かけください。

エリア情報

芭蕉ポケットパーク・芭蕉の句碑

芭蕉ポケットパーク:
住所:神奈川県川崎市川崎区日進町24-15
アクセス:JR南武支線、京浜急行電鉄「八丁畷」駅から徒歩約4分
TEL:
044-221-9117(NPO法人かわさき歴史ガイド協会)
044-244-7577(川崎市住宅供給公社事業部管理営業課)

芭蕉の句碑:
住所:神奈川県川崎市川崎区日進町11-9
アクセス:JR南武支線、京浜急行電鉄「八丁畷」駅から徒歩約2分
TEL:044-200-3305(川崎市教育委員会生涯学習部文化財課)