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400年以上の歴史あるお寺!川崎とのつながりが深い「妙遠寺(みょうおんじ)」

2022.04.21

川崎駅から歩いて約9分ほどの住宅街に、400年以上の歴史を刻む由緒正しきお寺があります。

用水の神様と呼ばれた小泉次大夫(こいずみじだゆう)という人物の供養塔があることから、地元の人だけではなく、多くの参拝客が訪れる川崎の名スポットです!

今回は、川崎ゆかりの人物のお墓が眠るパワースポットをご紹介いたします。

立派な本堂が迎えてくれます

気軽に参拝が可能な「妙遠寺」。

入口を通るとすぐに、ステキな本堂の正面がみえてきます。

清潔感があり、暮らしになじむ風合いの装飾がキレイです。

もともとは、川崎宿砂子に寺院があったそうですが、第二次大戦後の1952年(昭和27年)に、区画整理のため、川崎区の砂子から現在の宮前に移転したそうです。

お寺の境内には、多摩川初の農業用水路を作った小泉次大夫の供養塔と、多摩川の治水工事の功労者といわれる田中休愚(たなかきゅうぐ)の偉業をたたえる「泉田二君功徳碑(せんでんにくんくどくひ)」があります。

偉業をたたえるシンボルがみられます

小泉次大夫、田中休愚の二人の偉業をたたえて、苗字から1字ずつをとって命名された「泉田二君功徳碑」。

説明板を読んだところ、1889年(明治22年)に建立されたそうですが、隣の2階建ての戸建てと背を並べるくらい大きな石碑です。

江戸時代に小泉次大夫が作った「二ヶ領用水」によって、川崎と稲毛の二ヶ領でのお米の栽培が盛んになり、稲毛米と呼ばれたそのお米は江戸近郊のお米として、人気があったそうです。

300年以上の長きにわたり、農業や生活の用水として人々を潤した「二ヶ領用水」の現在は、用水路としての役割を終えて、川崎住民の水に親しむ空間として地域に溶け込んでいるのだとか。

当時の様子を想像しながら、今の「二ヶ領用水」を眺めてみるのもおもしろいかもしれませんね!

敷地裏手にある小泉次大夫の供養塔

境内をさらに進むと、戦国時代から江戸時代初期に代官および用水奉行を務めた小泉次大夫の像が建てられた供養塔があります。

徳川家康が天下をとり、江戸に在住するようになった約400年前に、多摩川初の農業用水路を作りました。

14年間にわたるその大きな工事の際、指揮をとったのが小泉次大夫です。

当時の多摩川は、度重なる大洪水の影響で村が荒れ廃れていたそうです。

両岸に住む人々の苦しい生活に胸を痛めた小泉次大夫が、東京側に「六郷用水」、川崎側に「二ヶ領用水」を開削し、水源に乏しかった流域の村を豊かな水田へと変えました。

水の安定的な供給が可能になったことで、その後の川崎市の飛躍的な発展につながります。

現在では、政令指定都市として多くの人々が住んでいる川崎市。川崎の大恩人である小泉次大夫のおかげで、今の川崎市の姿があります。

川崎市のライフラインを整えるという大きな偉業を残した先人たちに大感謝ですね!

ちなみにですが、小泉次大夫が「六郷用水」と「二ヶ領用水」の工事を巡検する図は、東京都大田区立にある「大田区立郷土博物館」で保存・展示されているそうです。

当時の工事について、さらに深掘りできるかもしれません。

気軽にお参りできます!

先人の努力と功績が残る「妙遠寺」。

お近くに立ち寄った際は、川崎市発展までのルーツを知れる貴重なお寺にぜひ行ってみてくださいね。

エリア情報

妙遠寺(みょうおんじ)

住所:神奈川県川崎市川崎区宮前町6-5
アクセス:JR京浜東北線・東海道線・南武線 川崎駅東口より徒歩約9分
TEL:044-222-7162
営業時間:6:00~18:00